本日3月11日は日本人にとってはなかなか忘れられない1日かと思います。
14年前の今日、東日本大震災が発生しました。
当時の僕は前職で働いていました。
忘れもしないお昼過ぎの14時46分。デスクに座りPCをカタカタしていると、その大きな揺れはやってきました。
桜丘の再開発予定地と言われていたエリアのそのビルは激しく揺れました。
いつもとは全く違う揺れに会社の人たちも本当に慌てていました。
普段はあまりしゃべらない先輩が、関西出身で阪神淡路大震災を経験したしていたようで、リーダーシップを取って僕らを非難させてくれました。
慣れない非常階段、そしてビル横の駐車場スペース、そこから坂を上って公園を目指す。
家族や友人、そして取引先の人などいろんな人から電話やメールが入る。
中でも印象的だったのは、取引先の1人から今のプロジェクトの状況を確認するメールが。これがプロの仕事かと、地震に不安を覚えながらも、感心させられていた。
15時だったのか16時だったのか覚えていないが、自宅が遠くなかった僕は歩いて帰ることに。
渋谷から祐天寺までは45分ほど。これまでも歩いても帰れるとは言っていたが、歩いて帰るのは初めてだった。まだ少し肌寒い夕方に帰路についた。僕は家のドアを開けて取り付けていた突っ張り棒が落ちていたことで、その揺れの大きさを再度実感した。
翌日からの土日は入社してから初めて会社に行かない土日だった。ニュースやSNSでただただ地震の情報を眺める毎日。
月曜からは僕らの業界は少しずつ元に戻っていったが、東京でも肌寒かった3月、東北の人はどれだけ寒かったんだろう。
首都直下型地震や南海トラフの発生確率について様々なことが言われているが、いつ起きてもおかしくない準備をしておくべきだと僕は考えている。
会社でもBCPのアップデートは5年ほど前からずっと続けているのと、PEADという災害支援の団体にも加入させてもらっている。
当時はボランティアに行くということが、勇気がなくできなかった。そのことを今でも後悔している。
今でこそ少しずつ寄付やボランティアをすることができるようになってきたが、1人の人間でできることの小ささを痛感する。直近だと能登の現地に行ってそれを感じた。
でも、いろんな現地、現場に行くと、同じような思いの人が溢れていて、とても頼もしくなる。
朝礼でも話したのだが、14年たった今日は同じ桜丘にいる。それも当時いたビルのほぼ真上に。これも何かの縁なのだろう。
SAKURUGの経営者として、そして1人の人間として、災害大国である日本の、あらゆる災害と向き合い続けていきたい。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
*X:https://twitter.com/hir0719
*Facebook:https://www.facebook.com/hiroyuki.endo.508
*LinkedIn:https://www.linkedin.com/in/hiroyukiendo/
*Meety:https://meety.net/matches/ecLejhvvJqjo
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー